おぎぃのブログ

都内のWeb系企業につとめる、おぎぃのブログ。日々の雑記。

なぜ老人ホームで「童謡」なのか

どうも、おぎぃです。本当は別のテーマの記事を書き始めていたのですが、引用したいサイトがあり、問い合わせの返答をもって作成したいと考えています。

今回は、昔から気になっている老人ホームにおける「童謡」についてです。最初に書いておきますが、専門家でも医療や介護の従事者でもないので、間違っている内容があるかもしれません。また、どこかに噛みつきたいわけではなく、自分の「違和感」を書き起こしたいという考えのもと今回の記事を作成しています。

自分だったら「童謡」は嫌だ

老人ホームのレクリエーションにおいて、「音楽」や「折り紙」が定番としてあると思います。「音楽」については趣味としてやっているのでとても興味がありますが、「折り紙」については今までの人生の中でハマったことはなく、今後もきっとハマることは無いのでやりたくありません。

ただ、「音楽」については好きですが「童謡」を聞いたり、歌ったりということしたくないです。もちろん「童謡」の良さはありますが自分は「他の音楽」ジャズやクラシック、ヘヴィーメタルの方が好きだし、「学校教育」という自分の嫌いなものを想起させられるからです。

そもそも、保育園や幼稚園、小学校というところ以外で積極的に「童謡」を好んで聞いている人っているんでしょうか。かなりピンポイントでマニアックだと思います。実際「童謡が嫌だ」という記事を書いている自分自身でさえ、どんな曲があったのか全く思い出せません。

「老人」と「幼児」を同一視しているような違和感

「童謡」を選択することは「老人」と「幼児」を同一視しているような違和感が拭えません。「おばあちゃん」や「おじいちゃん」を「かわいい」と呼ぶ行為も含めて。また、幼児ことばを用いて接することに関する違和感も含めて。先日、社員旅行で酔いつぶれた新入社員に対して、介抱をしていた女性が「子どもみたいでかわいいー」と言っていたことに関しても同様の違和感を感じます。

そういった思考をすることにより気持ちが開放されるというメリットや、仕事や行動において何らかの合理性を持っているから行っていることだ思うので、そういった人たちを否定するつもりはありませんが、自分だったら嫌です。

ただ、痴呆が始まった状態の中である一定の思考ができているのであれば、「介護してもらっている」という意識のもと、そのような違和感を飲み込んで感謝の気持ちでそれらの行為を受け取りたいとは思っています。

このようなテーマでの議論はよくありますが、この記事を書くにあたり自分の考え方を書いておく必要があると思ったのみで、議論したいとは思っていません。

「童謡」よりも「誰でも知っている曲」はある

自分たちの世代で言えば、誰でも間違いなく知っていると曲といえばSMAPの「世界に一つだけの花」であったり、アメリカ人であればセリーヌ・ディオン「My Heart Will Go On」(タイタニックの曲)やホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」(ボディガードの曲)でしょう。

一般的に、このような記事ではYoutubeのリンクを貼るのが普通だと思いますが、みんな知っているであろうからあえてYoutubeのリンクを貼りません

もう、耳にタコができるぐらい聞きすぎてどちらかというと嫌いな人も多いと思いますが、「童謡」とどっちが良いかと言われれば上記の曲を選ぶでしょう。少なくとも自分はそうです。今、老人ホームにいる年代の人たちも当然のように、自分たちの世代における「世界に一つだけの花」のような音楽があるはずなのです。

1950年〜1970年代のヒットチャート

実際に当時のヒットチャートを見てみましょう。今、65歳の人は1949年生まれ、80歳の人は1936年生まれです。別に生まれた瞬間のヒットチャートではなく、その人たちが音楽に触れたであろう時期が重要で、1950年〜1970年といったところでしょうか。

1950年代流行 邦楽ヒット曲 ランキング | 年代流行

1960年代 邦楽ヒット曲 ランキング | 年代流行

1970年代 邦楽ヒット曲 ランキング | 年代流行

1950年代では「美空ひばり」ぐらいしかわからないですが、1960年代では「加山雄三」や「坂本九」など知っているアーティストが出てきます。しかし、曲を知っているかと言われるとあまり自信がありません。1970年代であれば「布施明」や「ピンクレディ」などが出てきて、知っている曲が増えてきます。

ちなみに、ジャンルとしては童謡に属すであろう、もっとも売れたシングル盤として歴史を残している子門真人の「およげ!たいやきくん」は、1975年の曲ですね。(あれ、「およげ!たいやきくん」であれば好きかもしれない。)

その当時には生まれていない自分が知らなくても、各世代によってみんなが知っているヒット曲というのは存在しています。

なぜ「童謡」なのか

さて、なぜ老人ホームで「童謡」なのでしょうか。もっと、多くの人にとって認知されていて、かつ人気の音楽があるにも関わらず。

1. 「童謡」は学習コストが低い

まず、「音楽」のレクリエーションを実施する側にとって「童謡」は学習コストが低いと考えられます。

当然、老人ホームに入居する人はどんどん入れ替わっていきます。その中で、新しい年代のヒットチャートを追いかけて、新しい曲を「演奏できるようにする」「歌えるようにする」ということは、一定のコストがかかります。

日々の身体的なケアであったり、もっとも重要な業務を行う中で、新たな音楽をレクリエーションに取り込むことは、かなりのコストだと考えられます。

保育園や幼稚園、小学校で一定の割合で接している「童謡」を選択することには、仕事における合理性があると思います。幅広い年代に対して、ある一定のパフォーマンスが出せるものを選択することは、仕事において自然な流れだと感じます。

2. 「童謡」はわかりやすい

1つ目と同じように見えるかもしれませんが、少々異なります。「童謡」は曲の構成が簡単であるため、もちろんレクリエーションを実施する側にとってメリットがあります。しかし、この「わかりやすさ」はレクリエーションに参加する老人にとっても大きなメリットがあります。

世界に一つだけの花」を歌いましょうと言われても、フルコーラス全て歌える人なんてほとんどいないでしょう。同じように童謡についても、ほとんどの人がフルコーラス覚えていません。

「童謡」は曲の構成が簡単であることで、思い出しやすく、何度かやれば覚えることもできるのではないかと思います。「覚える」という部分については、痴呆につい詳しくないため大きくズレているかもしれませんが。

「童謡」のわかりやすさ故に、レクリエーションで「聞く」のみでなく「歌う」という参加のしやすさに繋がると考えます。

でもやっぱり「童謡」は嫌だ

わがままであると思いますがやっぱり「童謡」は嫌です。音楽に対して積極的に関わってきた中で、そしてこれからも関わっていく中で、最終的に帰結するというのは非常に悲しいです。

老後の資金を貯めるということは、今はまだ考えられていませんが、どこかのタイミングで老人ホームに入ることを考えると、音楽に対して非常に積極的な施設に入れるよう、自分で努力をしなければならないと感じます。

提供されるサービスについては、クレームを出すのではなく、選択するのが正しいと思っています。

音楽の持っている「力」を考える

これだけ「童謡」vs「ヒット曲」で書いてきましたが、もっとも思うところは音楽の「力」とはなにかということです。

音楽をある程度聞いていたり、演奏したりする中で「4拍子」や「3拍子」といった拍子に対する慣れが生まれます。大学生時代にはそういった、多くの人が自然だと感じてノリやすい音楽以外に、「5拍子」「6拍子」「7拍子」「11拍子」といった拍子の曲を演奏していました。

大学の文化祭には、大学の周辺地域の人たちが多く来ますが、文化祭の外ステージで「11拍子」の曲を演奏したときに、子どもたちが元気よくその音楽にノッていました。一方で、多くの人は「変な曲だなー」という感想を抱いているのか、他の曲の方が良い反応をしていました。矛盾しているようで分かりにくい表現ではありますが、その時演奏した曲の中では、もっともノリの良い曲でした。

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その時に改めて感じたのが、その曲を「知っているか」「知らないか」ではなく、その曲が「分かりやすいか」「分かりにくいか」でもなく、その演奏している音楽(グルーブ)が「良いか」「悪いか」が、本質的に重要であるということです。

そもそも音楽に参加する方法は「歌う」や「演奏する」のみではありません。その音楽に対して感じるままに「手拍子を叩く」ことも「ノッて体を動かす」ことも音楽への参加です。そして、それらは「良い音楽」であれば自然発生するものであるということです。

特に音楽療法において「良い音楽」とは何かという、「音楽」の側面でのアプローチが積極的に行われ主流になることで、老人ホームでのレクリエーションにおける「音楽」が大きく変わるのではないかと考えています。

もちろん、すでにそのような取り組みをしている人たちはいると思うので、特に積極的に自分が行動を起こすことは考えていませんが、陰ながら応援しています。

それではまた!

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